疾風怒濤

気象庁の発表によると、本日は春一番の日。
……と思っていたら、2 時過ぎ頃にどこか遠くの方から、どうどうという唸りが聞こえてくる。
なんだろうと思う間も無くうなりは高まり、たちまちにして轟々という風の吼えたける音に変わってしまった。
窓の外は一面の黄色い砂塵。
隣の家との間は、烈風が吹きすさび、あわてて取り込みに行った洗濯物は吹き飛びそうになって横になびいている。
風に砂が散々混じっているので、風に顔を向けると、目が開けられない。
看板が風に吹かれてしなっているのが見える。
もしも出航していて突如こんな風に見舞われたとしたら!! くわばらくわばら。

後で天気図を見てみたら、どうやらこれは寒冷前線の通過だった模様。
つまり、疾風怒濤がやってくるまでの比較的穏やかな風が春一番で、疾風怒涛は寒冷前線の風だったということ?
疾風怒濤が過ぎ去った後、空は雲が吹き飛ばされてしまったのか、からりと晴れ。
明日はまた冷えるそうです……やれやれ。


お粗末と言われても……


自衛隊イージス艦『あたご』の衝突事故が大問題になっています。
海の衝突事故での極めて重要な判断ポイントに航路権の問題があるのですが、この問題は『あたご』に避航義務があったということであらかたケリがついてきたようです。
自船の進路右方向から進路が交差する船が近づいてきたら、自船は『避航船』になり、相手船を避ける義務があります。避け得ず衝突してしまったら、なんと言い訳しようが、まず自船が悪い、というのが海のルール。内部事情の話はあるでしょうが、これでイージス艦側は逃げ道がなくなりました(もっとも、2分前に『あたご』右舷に漁船の緑灯(右舷灯)が見えたという見張り員証言をタテに、「本来衝突航路に無かった『清徳丸』が急激に針路変更して『あたご』進路に飛び込んだ」旨の主張はまだされる可能性はありますが、衝突針路から左舷に転舵して避けた金平丸の右舷灯だった可能性が高く、現時点では証言自体が疑わしいです)。

それにしても、相手が一隻ならともかく、数隻の漁船が接近していた模様。衝突してしまった『清徳丸』以前にすでに類似針路の二隻が『あたご』を避航していたことが報道されており、この時点で既に『あたご』は避航義務を放棄していた可能性が疑われます(自動操舵ののままだったようですし)。清徳丸の右舷灯が見えたとか、左舷灯が見えたとかいう問題でなく、果たしてこの漁船団を『あたご』は認識していたのか、いなかったのか。
認識していて突入したのであれば大問題ですし、認識していなかったとしたら、数隻からなる漁船団が全てレーダーにも目視にもひっかからなかったということになりそうで、これは本来あってはならない事です。
一部で、艦船のレーダーは極めて近距離(3〜400m)では効きが悪くなることが指摘されていますが、300m といえば、今回の『あたご』の航行速度である 11knots でわずか 1 分の距離。時期的には既に回避の全速後進をかけたと言われる時期で、そもそもそんな近距離でレーダーに映るかどうかは、今回の話ではまったく関係がありませんし、仮に一隻映らなかったとしても、船団まるごと見落としたとは、ちょっと考えられない。
……とすると、認識していながら避けてもらえることを期待して、そのまま突入したのではないかという疑いが消えません。
少なくとも、危機感を持って見張りをしていたようにはどうしても思えません。見えていたとしても、小型船舶に関しては報告をしないことが常態化してはいなかったか。
制動についても、ちぐはぐな自衛隊側の証言を聞いていると、衝突前にかけたのか、それともまったく気づかずに『清徳丸』に突っ込んでしまってから急遽かけた可能性も残っているように思えてしまいます。
どの方向に転んでもお粗末と言われても仕方の無い事態に見えてしまいます。情けない話です。

伝聞での憶測はともあれ、結論を見守るとともに、『清徳丸』の方々がなんとかご無事であることをお祈りするばかりです。


[追記]
小型船舶の航海の実態として、「身動きのとりやすい方(小さい船)が相手を避ける」「プレジャーボートは本船(業務用の船)を避ける」といった実態を指摘する記事もあり、筆者の狭い経験の中では、確かにそういった運用となっているように思います。
海(湖でもですが……)の上で航海していると、お互いの距離が正確にわかりづらく、また、速力 10kts+ というのは船の運動性の低さからすると意外に高速で、みるみるうちに状況が変わっていくのに焦ることもあります。小型艇側(特に運動性能のにぶいヨットの場合)からすると、距離が遠いうちに相手の船尾の方に自艇の船首を振ってしまうくらいでないと、お互いの誤認がかさなって衝突に至ってしまうのではないかという不安がぬぐえません。
漁船-大型船の間でも、同様の運用関係がありそうで、普段、大型船が接近してきたら、そういった運用をしていたのではないかと思えます。
今回の事故についても、『清徳丸』側は『あたご』を回避しようとした筈だと思うのですが、何故漁船側は『あたご』を避け得なかったのか? という論点は確かに残っており、その点は謎の点ではあります。
『あたご』側も『清徳丸』の衝突直前の動きについては信憑性のある言及が出来ていませんし、お互いがお互いを見失うような悪い視界状況や、イージス艦・漁船双方の動きを制約する別の船の存在でもあったのでしょうか?
視程は良かったとの言及もあり、そのような状況で、他船の航海灯を見失うのも納得がいかない気もしますし……。
『清徳丸』が僚船との無線に出ていなかったとの記事もあり、もしかすると、オートパイロットにして漁の準備をしていたなどの状況も考えられないことはありません。それにしても、イージス艦の航海灯に気づかないことは無いと思うのですが……。
不運な事態が色々と重ならなければ衝突には至らないと言ってしまえばそれまでですが、まだ重要な証言が幾つか出てきていないような気もします。


[航海日誌中の参考情報]
 → 事故・座礁・遭難


整備できず


冬です。
例年であれば、そろそろ艇の整備に入っているのですが、これがなかなか出来ない。
やれ仕事だ、卒園を控えた豚児 R の行事だ、ちょっとなんとかなるかなと思ったら雪……。
雪が降ってしまうと、整備どころではありません。
ちはやの整備は、ニス塗りが主になるのですが、雪でたっぷり湿った木材にニスをかけることになるので……うーむ。
それに、どうも今年の冬は寒い気がして、身動きが取れていません。歳とってきたのかなぁ……。
というわけで、待機中なのでした。
今週末はどうかしらん。

[追記]
今週末は仕事……(;_;)


過去の情報から教訓を


今年の初日の出出港をふり返って、何故 7 年前のような大風でなかったのかを考えています。
良く似た天気図のパターンだったはずなのに、今回はあまり風がなかった(3 m/s 程度だったようです)理由が何かある筈。
天気図があれば比較してみることもできるのですが、残念ながら 2001 年の天気図は手元には無く、ネット上を探して見ました。
幾つかのサイトを調べて、行き当たったのがこのサイト。
ところが、ダウンロードして分かったのは、筆者の記憶がいかにあてにならないかということ。
2001 年 1 月 1 日の天気図をダウンロードしてみてびっくり。あれ? 今回とはまったくパターンが違う!?。
今回は、オホーツク海上に 980〜90hpa くらいの低気圧があり、本州上に斜めに等圧線がかかるパターン。4hpa ごとの等圧線が日本列島に 6 本ほどかかっていました(図1)。
これに対して、2001 年 1 月 1 日の天気図を見ると、茨城県沖に 968hpa という強力な低気圧があり、等圧線はきれいに南北。日本列島には 7 本ほどかかっており(茨城県付近の目の詰まり方だけ見るとかなり違います:図2)、しかも、前日の天気図にはこれがありません(図3)。
どうやら、日本海側から成長しながら太平洋沖に駆け抜けていく低気圧が原因だったようなのです。
すっかり記憶違いをしていました。
今年のパターンが「安全」というわけではないのでしょうけど、新年早々勉強になりました。一番勉強になったのは、「記憶よりも記録すること」。
やれやれ。
とまれ、こんなことをやっている『航海日誌』ですが、改めて今年もどうぞよろしくお願いいたします。


■参照情報
国会図書館の紹介する過去天気図の探し方(!!)
 なんと、国会図書館が過去天気図の探し方を公開していました。

過去天気図の取得サイト
 今回は、ここで天気図を探させてもらいました。

気象庁の過去天気図ページ
 残念ながら 2002 年のものからしか見つかりませんでした。
 過去五年保存なのでしょうか。


写真は文脈で……


年が明けたついでに、過去の写真を洗いなおしていました。
が、枚数の割には良いものが少なく、単体で見て見栄えのする写真を撮るのはなかなか難しいことだと改めて実感しております。
そのときは結構いい写真だと思っていても、時間が経って冷静に見直してみると、それほどのものでないことが大半。
やっぱり、撮影直後はバイアスがかかっているんでしょうか。
撮った当初は、そのときのフレーム外の風景や会話、感情などと絡めて見ることができるので、評価が何割増しかになっているのかも知れません。
今年の初日の出写真は、大分うまくいったのではないかと思っているのですが、さて、時が経つと、どうか?

奮闘むなしく失敗してしまった写真については、写真は記事の中で生きるのです……と言い訳しつつ、今年はもっと良い写真を撮影できることを目標としたいです。

[追記]
過去写真をはてなフォトライフにアップ中です。良かったら見てやって下さい。


久々の初日の出出港


あけましておめでとうございます。
今年も『航海日誌』をよろしくお願いいたします。
とはいえ、去年はほとんど出港出来ず、ちはやはと言えば、福丸訪問後にわずかに出港出来ただけ。(初出港が初スピンでしたけれど)
久々の惨敗の年になってしまいました。
そのほか、マリーナの資本が変わって、『京成マリーナ』から『ラクスマリーナ』に変わるなどの事件(?)もあった年でした。
今年はもう少し乗りたいものですが、課題は山積み、さて、どうなるか。
さて、去年あまりにも乗れませんでしたので、今回は久しぶりに初日の出出港をしようということで、代官殿に無理を聞いてもらって船を出しました。代官殿ありがとうございます。
前回初日の出出港をしたのが 2001 年ですから、それから実に7年。思えば遠くへ来たものです(?)。その割にはあまり上手くなっていないのはご愛敬か(^^;;
今年は 6:40 夜明けということで、5:30 マリーナ集合。参加者は代官殿、筆者の豚児ですっかりおなじみの R、筆者の三名。筆者の相棒の Rei 殿と下の子の T は参加の話もあったのですが、今回は見送り。時々来てくれている T.T.氏も予定が合いませんでした。残念。
さて、フネを下ろしてエンジンをかけた後、久々に航海灯とデッキ灯を全て点灯して異常無しを確認。筆者は航海灯を点灯中のフネは、これからどこかへ旅立つ風情があってとても好きなのです。
気温は 0℃ 前後なのか、デッキが凍って滑ります。南氷洋を走るヨットレースなどの苦労が偲ばれます。
5:50 頃桟橋を離れて航行開始。マリーナの T 船長からは、遊覧艇ホワイトアイリス(6:10 出港予定)の近くへお誘いを頂いたのですが、さて、どうするか。国民宿舎の近くまで出るそう。
7 年前の時オホーツク海で成長した爆弾低気圧の影響で大荒れだったのですが、今回も天気図上はよく似た感じ。風は北に居座った低気圧に吹き込む風が西から吹く(風は螺旋状に吹き込みますので、低気圧に一直線に直接吹き込む訳ではありません)パターン。荒れるかも知れませんので、あまり遠くへ行かないようにする予定。
お湯を沸かしてココアなど飲みつつ、機走で走って江戸崎を目指します。ホワイトアイリス近くの案もあったのですが、たまの機会なので、霞ヶ浦南岸に邪魔されずに日の出が見える江戸崎沖まで行くことにしました。
機走してゆくと、次第に夜が明けてきます。デッキ上はほぼ無風……ということは、数ノットの追い風がありそうです。
江戸崎の陸岸には、すでに初日の出を見に多くの人が来ていました。
ギアをニュートラルに入れて、江戸崎沖で漂います。
空は快晴ですが、東の地平線には積雲が遠く漂っており、ちょっと邪魔になるのが残念なところ。雲の前を鴨の群れが飛びすぎたりして、これはこれで風情がありますが。
地平線の下から日が昇ってくるにつれて、雲の上の縁が黄金色に輝いてきます。
6:50 頃、少し遅れての初日の出となりました。
甘酒で乾杯といきたいところですが、車で来ていると不便なところか。紅茶とココアで代用。
さて、見終わったところで一目散にマリーナを目指します。7 年前に大風に吹きまくられた経験が骨身に染みていますね(^^;; もっとも、今回は天気図では日本列島に 6 本の等高線がかかっていたものの、それほどの風になりませんでした。
日が昇り終わってしまうと、ぐんぐん上がっていくように思えるのはいつものこと。あたりもすっかり明るくなって、朝の風情になってきました。
岸辺では鴨の群れが一休みしていたり、フネの接近に驚いてフネの前を横切るように翔びたっていったりしま。
空気が澄んでいるようで、筑波山が朝日の中にくっきりと見えていました。
マリーナの桟橋で朝食を食べて、今回は解散。
帰り際に事務所に立ち寄ってマリーナの方に伺いましたが、マリーナ自体もかなり様相が変わりそう。陸置きスペースがだいぶん小さくなってしまうため、係留への切り替えを進めているところのようです。
価格改定もあるそうで、いろいろと考えることのありそうな 2008 年の夜明けなのでした。


■その他今回の日の出写真
 →日の出写真
 日の出直前の黄金色に輝く雲
 国民宿舎沖に停泊中のホワイトアイリス
 日の出後の風情など

■航海日誌中の関連記事
夜明け


初出港は福丸で


本当に乗れていない今日この頃。休日出勤あり、その上お祭りの鳴子踊りの手伝いも入ってしまい、まるで身動きが取れません。
その結果が、八月に入っての今年初ヨット。ほとんど十ヶ月ぶりのヨットでした。代官殿、あいすみませぬ。
でも、久々のヨットは最高でした。いやー、良かったです。

今回は、春に乗り損ねた福丸の再訪問。
福丸の置いてある西伊豆には、カブトムシやクワガタも多いとのこと。当年 6 歳の豚児 R と共に、早朝勇んで出かけます。
早朝にも関わらず、福丸さんが快く出迎えてくれました。
が、しかし、シーズンが過ぎてしまったのか、カブトは空振り。残念。
仕方なく(?)テンダーを出して海上係留の福丸へ。
福丸は、名艇の呼び声高い HAYASHI 990B Ocean Blue。昨年 11 月に進水した新艇です。
春に見損ねているので、まるで待ちわびた恋人に会うかのよう(?)
福丸さんは、ご家族そろってでしたので、筆者と R を含めて計 6 名(うち子どもが 3 名)のの、結構にぎやかなクルージングになりました。
係留ロープを解いて、まず向かうは大瀬崎。泊地を出てほぼ東の方角にあります。
風は南なので、ほぼタックを返さずに帆走出来そう。
Ocean Bule はさすがに余裕があり、6 人乗っても全然込み合った感じはありません。
以前乗せていただいた『あうん』との大きな違いはラット(舵輪・あうん)とティラー(舵柄・福丸)の差ですが、さして重い感じも無く、ティラーでもまったく問題無いですね。
普段小型艇に乗っている筆者としては、船首が少し遠く感じられ、エクステンションを使ってでも前の方で舵を取りたい衝動に駆られるのは慣れというものか。
バラスト比の高い Ocean Bule はどっしりとした感じで帆走っていきます。
天気は驚くほどの快晴。
太陽はきらきらと光り、富士山もばっちり見え、最高のクルージング日よりなのですが、問題が一つ。
今年ろくろく外に出ていなかった筆者は、これが初日焼け(?)
日やけ止めを塗っていようがいまいが、たちまちのうちに真っ赤に日焼けしてしまい、タオルをかけ、ドジャーの影に避難し……と情けない仕儀に相成りました。無念。
帆走当初は、清水港まで行ってみようかという話も出ていましたが、急遽戸田(ヘダ)沖にアンカリングに変更。
福丸の錨はあこがれの(?)CQR。適用できる海底の地質の範囲が広いため、一度使ってみたいと思っていたアンカーです(普通の海況で一度使ったくらいでは良し悪しは分かりませんが、気分だけということで……)。
船がしっかり安定したことを確認後、シートで船と体を結んでの海水浴となりました。
西伊豆の断崖の絶景を眺めながらの海水浴は大変に良いものでした。
ライジャケを着ていれば沈みませんし、ロープを引っ張れば船まですいすいと戻ることも自由自在。ちょっとした宇宙遊泳の気分です。
ただし、注意事項が幾つか。
乾舷の高い船だとスイミングラダーが無いと船に上がることが出来ません。
水中からジャンプしてスタンションが掴めても、船腹はつるつる。足がかりが無いので、まるで上れません。ロープをたぐって登るのも相当きつそうです。片手で懸垂の出来る人以外は、ラダーの無い艇では、縄梯子を下ろすか、足場にするゴムボートなどのご準備を。
また、うねりが入るところの場合、ロープ無しだとかなり流されて、船まで戻れなくなってしまいます。
福丸さんがロープをひっぱって岸までたどり着くのをトライしていましたが、ロープの抵抗で NG。波の力はかなり強いようです。
海水浴後、福丸奥様に作っていただいたそうめんで昼食。美味でした mOm
錨を上げ、追い風を受けて帆走。
帰りがけに一つおまけがつきました。
大瀬崎のあたりを航行中、
「サメ!」
との声に見てみると、シュモクザメ(ハンマーヘッドシャーク)がのんびり泳いでいました。
長さ 1m 弱くらいでしょうか。
「かっこいい」
とは子ども三人組の意見。うん、なかなかっこいいです。
帰港後、筆者は日焼けでノックアウト。
翌日は船を出さず、戸田(ヘダ)にて海水浴とあいなりました。スミマセン。
戸田の海水浴場は、なぜか沖に恐竜が浮いていたり、子ども達はしっかり楽しんだようです。
夕方、「カブトムシの木」のところでカブトムシを発見。R は S 太兄に採ってもらっていました。
帰りは高速で。結構すいていたのか、するすると帰ることが出来ました。
久々にお休み満喫でした。福丸さん、ありがとうございました。