責任感が消える……??

と、大層なタイトルをつけましたが、雑文です。近頃起こる不注意事故(つい先日、『あたご』事故に続いて明石海峡でも海難事故が発生しました。オートパイロットにまかせっきりにしていての衝突だそうです)を見ていて思うことです。

日本はある意味、職人の国だと(だった?)思っており、そこが魅力的な土地だったと思っております。
仕事の上でも、管理者の管理を待たず、自分の受け持った仕事には誇りを持ち、細心の注意を持ってやり遂げる。
職人ですから、いい加減な仕事は出来ない。仕事の品質を保証するのはプライドだったと思います。ですから、過酷な労働でも引き受け、黙々とやり遂げる人が多かった(のではないかと勝手に思っています)。
一方、上司の方でも、多少利益確保の上では的外れだったとしても、無意味なことにコストと時間をかけていると短絡的に叱らずに、そういった部下を何かと尊重してきたのではないでしょうか? そうした人々がやがて世界に通用する品質の Made in Japan の製品を作ってきた。
いつの間にか、そういった職人気質の方は少なくなり、尊重もされなくなってきました。標準化という名の下に、どうしても切り捨てられたり、より原価の低い人に置き換えられたりしてしまうようです。
標準化・共有化は大変良いことなのですが(ある意味、筆者の仕事はそういったことを推進する仕事ですし……)、それと職人を認めないことはまた別の次元の話だと思いたいです。突出した職人を尊重しつつ、その技術をみなで吸収するという共有化でないと、組織がレベルアップしていかないような気がするのですが、なかなかそううまくはいきません。ほうっておくと職人を尊重することと、標準化を進めることが相反することになってしまっているようにも思えます。
そういった流れの中で、今はきっと、昔に比べると、全てを自分で取り仕切る『自分の城』は狭くなっているのかも知れません。一方で、やらなくてはならないことは増えていっているとすれば……。
いきおい、職人というよりはサラリーマン、サラリーマンというよりは賃金(日雇い)労働者の気分が現場に蔓延しやすい状況なのかも知れません。
仮に、職人気質の人が現場に居たとしても、理解者の少なさに『やってられるか』ということなのかも知れません。
日本がもともと職人の風土なのだとしたら、今は日本全体が長期的に疲弊して、士気阻喪の過程にあるのかも……。
士気が阻喪すれば、事故の数は自然と増加します。1995 年に大復活を遂げたアメリカのコンチネンタル航空も、復活前は社員の労災の数などが非常に多かったそうです(自分でわざと怪我をしたケースも多かったようですが、これも士気低下の一種ですね……)。復活後、これは急減したそうです。
人が人を尊重する職場を作っていきたいものです。
もっと良い形が無いものかと、最近良く思います。