海の時空館


無事、海の時空館に行って参りました。
心配していた台風は幸いにして北の方へ逸れ、前日はそれなりに突然雨が降り出したりしていたのですが、翌日はからりと天気。格好の訪問日よりになりました。
テクノポート線コスモスクエア駅まで。ここから、20分に 1度、無料バスが出ているのですが、歩いて時空館まで。海岸沿いは、海浜公園のように整備されていて、ゆっくり散歩しながら、港に入ってくる船などを見ることが出来ます。かんかん照りだとちょっと暑いのがたまに傷ですけどね。
時空館は、入り口付近の建物と、本館ドームの二つの建物があります。
本館ドームへは、海底のトンネルを抜けて入ります。銅銭のような入館証(?)を自動改札のような機械にぽいと入れると、いざ地下行きのエレベーターへ。
エレベーターを降りると、暗い中、蒼い光がゆらゆらと踊る神秘の空間でした。エレベーター正面には、天の浮き船と思われる不思議な船の彫刻が暗い中、眩くライトアップされていました。
天井にところどころ空いている丸窓から海を見上げつつトンネルを抜け、エスカレーターを抜けると、浪華丸の船首が大きく上にのしかかってきます。
浪華丸は、江戸時代に活躍した弁才船(べざいせん)。または菱垣廻船とも言います。行ってみるまでそんなに大きいとは思わなかったのですが、帆柱はほぼ高さにして 5〜6 階分をぶち抜きにしたドームの上に届くかというくらいの見上げるばかりの高さ。そこから長い帆桁が伸びており、巨大な白い帆が下りてきています。西洋式の帆船の場合、これくらい大きな帆だと、何枚かに分割しているのですが、和船の場合には一枚帆。その大きさには思わず圧倒されました。この帆が風をいっぱいにはらんだところを実際に甲板の上から見たと想像すると、これはかなり勇壮な光景かも知れません。霞ヶ浦の帆引き舟の帆でも相当大きく見えるのですから、それよりはるかに大きなこの帆に風を受けて走った弁才船の迫力が想像できます。
時空館の展示自体もなかなか面白く、4F は帆船の航海についてのコーナー。ノクターナルやクロススタッフといった昔の航海器具を使って、時刻や緯度を実際に測って見る体験コーナーがあり、なかなか楽しめました。帆船の船首像のレプリカもいろいろ飾ってあり、日本丸の藍青、海王丸の紺青のほか、チリのエスメラルダなど、各国の帆船のものが飾られています。帆船好きの筆者はちょっと感動。

3F は大阪は堺の港の歴史紹介。掛け合い漫才のようにして、ちょんまげのお兄さんがいろいろな解説をしてくれます。なかなか分かりやすい解説でした。
鎖国中は航海の暗黒時代という印象が強かったのですが、相当大量の物資が海上を通って堺から江戸へと輸送されていたようです。考えてみれば、米のような重たいものを大消費都市江戸へと運ぼうと思ったら、海上交通が便利なのは当然。その他、近畿圏で作られた実に様々な生活必需品が江戸の町を潤したのだそうです。当時の物流上の大動脈だったといえそう。
実は、和船は西洋式帆船に比べると荷役がやりやすかったり、小人数で操船できたりしたようで、明治以降も和船の利用はどんどん増えたようです。
竜馬がゆく」や「坂の上の雲」などを読んでいると、西洋式の蒸気船の時代が速やかに到来したかのような錯覚を覚えてしまうのですが、石井謙治先生の「和船史話」を読むと、昭和初期までの内航船は帆船が主流だったことが書かれています。次第に、和船船形に西洋的要素を取り入れつつ、帆は中国伝来の伸子帆(ジャンクリグ)、ジブなどを備えた合いの子船となっていき、ちょっと独特の雰囲気をもつ船として完成していきます。
思ったよりもずっと豊かな海洋利用がされていたようで、ちょっと日本の海洋史を見る目も変わって来るような気がします。
2F の浪華丸の中を見学して、時空館の見学は終了。
残念なことに、「海の冒険館」、「海の映像館」が調整中でお休みだったのですが、なんの、十分に堪能できた時空館訪問なのでした。

[追記]
ちなみに、豚児の R は、スタンプラリーが楽しかったようです。館内のスタンプ十五個を集めると、弁才船の進水式(?)のシーンが完成するようになっています。昔は、ご祝儀で餅などを船上から撒いたようですね(今でも、家を新築する際に、棟上で餅やお菓子を撒く地方がありますが)。
時空館でも、お正月には浪華丸から餅撒きをするそうです。

[参照 URL]
海の時空館