霞ヶ浦は怪しい(なまず貝塚南岸めぐり)


前日のペイントがまだ乾かないので、陸上から霞ヶ浦南岸めぐりに行って見ました。
とりあえずの目標はなまず料理の(?)店。それに、大山の泊地の陸上からの観察です。
あたりやさん なまず料理の店は、大谷の交差点の脇にある「あたりや」さんというお店(地図はこちら)。なまずの専門店というわけではなく、定食屋さんで、なまずの料理も出しています。近頃、霞ヶ浦で増えすぎて問題になっているアメリなまず(アメリカンキャットフィッシュ)を食べてしまおうという寸法です。
なまず天ぷら定食淡水魚なので、ちょっと泥臭いところがあったりもしますが、淡白でなかなか美味。天ぷらで食べたのですが、鍋にも合うかも知れません。
知られざる(?)霞ヶ浦名物です。

さて、ここから道を北へ入ると、大山方面になりますが、途中で陸平貝塚に(場所はこちら)に寄りました。霞ヶ浦は、縄文時代は海だったようで、あちこちに貝塚が残っています。筆者は霞ヶ浦でフネに乗り出すまで、ほとんど知らなかったのですが、この地域は実はかなりの歴史的な積み重ねのある地域で、この積み重ねは近代まで続きます。近代になって舟運が廃れるまでの間、主要な通商路として驚くほど沢山の河岸があったようです。案外と興味深い湖です。
陸平貝塚では、台地の周囲が貝塚になっており、そのままの状態で木道を渡して保存されていました。

廃墟さらに道を辿って、大山へ出ます。
大山のあたりは、なかなか怪しい雰囲気のところです。
泊地と長いスロープ(昔、ここには海軍の施設があって、水上飛行機を湖面に下ろしたと思われるスロープです)があるのですが、その回りは一面の草むら。その中に、ぽつんぽつんと建物が散らばっています。
砂利道に迷い込むと、広い草原の中にコンクリートの土台だけが残っているような場所もあり、ちょっとした異世界になっています。
多分、海軍の建物の廃墟だと思うのですが、詳細は筆者は知りません。
筆者はなかなかこういうのは好きなのですが、夜迷い込むとちょっと怖いかも知れませんね……。
これもなかなか怪しい。

葦原さて、ここから湖岸の道を辿って土浦まで。
北岸側はコンクリートで固められた護岸が多く、葦原の残っているところはあまり無かったりするのですが、南岸側はかなり残っている印象。
沖に離岸堤を打って葦原再生もかなり進んでいる感じでした(この離岸堤、粗朶を使って波を弱める仕組みのようなのですが、北岸で見たものは粗朶が流出して役立たずになっているところもありました。構造的には研究が必要なようです。あらら)。
葦原のところどころには水神様も祭られていましたが、南岸側は岸の方に鳥居があり、湖側に神様が居る配置。先日、手野のあたりに行ったときに見た水神様は、鳥居が湖側で社が岸側の配置でした。はて、何か意味があるのかしらん……。
葦原は、その中に小道がうねうねと抜けていたりすると、ちょっと不思議な雰囲気になって筆者はなかなか好きです。
抜けてみると、ちょっと静かな水面があって、小船が浮かんでいたり、鴨が休んでいたりすると、秘密基地的な雰囲気になってたまりません。
いずれは、霞ヶ浦周囲を取り巻くように葦原が再生するときが来るのでしょうか。
そのほか、田の排水を一度ビオトーブを通して栄養分を取り除いてから湖に流すなどの試みがされているような地域もあり、少しづつでも何かが良くなっては居るようです。
見晴台
以前、沖で底を擦った時に見た「見晴台」の場所も確認できたことも収穫でした。近くで見ると高さもあり、結構景色の良い見晴台のようです。
道は砂利道、一部、水はけが悪い場所があり、代官殿の車は泥まみれになった模様ですが、なかなか雰囲気のある南岸めぐりなのでした。
霞ヶ浦はなかなか怪しいかもしれません。