図説 和船史話


福丸さんに貸してもらった『図説 和船史話(石井 謙治 著・至誠堂)』を読んでいます。
この本は、以前に故・野本先生に推薦していただいた本で、今は絶版になっているのですが、黎明期から近世までの和船の歴史を、様々な資料をあたりながら詳細に説いた名著なのです。
何しろ大きな本なので(B4 版・398P)、のんびりペースで読んでいるのですが、なかなか驚きの発見も多く、楽しんでいます。

例えば、『源氏物語』の那須の与一が扇の的を射た際のフネは、杉材か何かで作られた白木の板を張り合わせた和船だと思っていたのですが、時代考証的には丸木を繰り抜いて作った刳り舟か、刳り舟に舷側の板を何枚か継ぎ足した舟(こういうフネを『準構造船』というのだそうです)だったのだそうで、筆者的にはなんだかイメージが変わってしまいました。
丸木の刳り舟というとなんだか原始的なイメージが強いのですが、『準構造船』は、構造的に強く長持ちするので、小さな舟を作るのにはメリットがあるのだとか。
日本では弥生時代に始まり、鎌倉時代の終わり頃までこういった構造の舟が主流だったようです。
やがて、構造船(板を張り合わせて作った普通の船)に移行し、中国のジャンクの技術の導入などを経て良く文献などに出てくる弁才船の成立を見ることになります。

筆者的にちょっと面白いのは、その帆走性能の優秀さでは定評のあるジャンクの技術導入が早くからありながら、その特徴のある縦帆も、船の構造も日本では定着しなかったこと。
今でこそ、帆船といえば横帆が多いのですが、歴史的には縦帆をメインに使っていた帆船も結構多く、8〜9 世紀以降の地中海の帆船/ガレー船もそうですし、ポリネシアメラネシアのダブルカヌー、インド洋のダウ、それに中国のジャンクなど、西洋型航洋帆船(キャラック、ガレオン以降)成立前には、ヴァイキング船などのごく限られた例外以外は縦帆船の方が多かったのではないかと思えるほどです。
帆といえば、直感的に横帆を思い浮かべてしまうことからすれば、これはちょっと意外な結果なのですが、これは、沿岸航海での通商などの限られた地域での航海では風向きが選びにくいため、より上り帆走に強い縦帆船のメリットが強く出るためではないかと思われます。一度導入されてしまうと、操船の人数が少なくて済むこともあり、手放せなくなってしまうのでしょう。
これに対して、日本では明治期になってようやく、ジャンクリグの良さが見直されて再導入されていたりするのは、ちょっと面白い気がします。
恐らく、漕走がメインの使われ方を長い間していて、ほぼ帆走で使われるようになった弁才船などもその流れを受け継いだのだろうという気もしますが、朱印船貿易ではジャンク式の縦帆帆装が導入されたりもしているだけに、何故これが日本では定着しなかったのか、不思議な気もします。

その他、江戸時代に考案された潜水艦(?)の話なども載っており、あまり良く知らなかった日本の船の歴史をつぶさに辿ることが出来ます。
残念ながら絶版本で、なかなか手に入れることが出来ませんが、興味のある方は是非読んでみられることをお勧めします。

[航海日誌中の参考情報]
書籍など紹介