光源氏は弓を引く


またまたやってしまいました。大間違い第 5 弾(?)です。
先の記事で『源氏物語那須の与一』なる大間抜けを書いてしまいましたが、正解は『平家物語那須の与一』でした。
これでは、無粋な坂東武者が典雅な宮廷ラブロマンスの中に突如割って入って弓を引いた形で、何ともミスマッチな……すみません mOm。

閑話休題、与一の時代の船の主流がまだ刳り舟だったとすると、それ以前である平安時代の船もやはり刳り舟が想定されることになります。
平安貴族が舟遊びをするときには、丸木の刳り舟に乗っていたということになり、これもなかなか筆者的にはイメージがミスマッチなのでした。
丸木の刳り舟と言うと、なんとなく、『はじめ人間ギャートルズ』か何かを思い浮かべてしまうんですよねぇ。平安、鎌倉あたりになると、きっと、刳り貫いたり磨いたりする技術も相当発達していて、刳り舟とはいえ、かなり美しく仕上げていたとは思うのですが……。